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- 成田新田(近世)とは
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成田新田(近世) 江戸期の新田名蒲原郡のうち落堀川支流十文字川流域,旧紫雲寺潟干拓地の北西部および南東部享保20年に初検地をうけた紫雲寺潟新田の1村であり,同新田開発先願人竹前権兵衛の証人となった江戸の商人会津屋成田佐左衛門の所有地地名はこの姓にちなむもともとは竹前権兵衛が幕府から恩賞として与えられた地の一部で,竹前氏が成田氏へ譲与したものである幕府領村高は,元文元年検地帳484石余,「天保郷帳」486石余元文元年検地帳によれば,村高の反別45町余,ほかに除地があり,総反別48町余旧紫雲寺潟北西部の地を北村,南東部の地を南村と通称していた庄屋は成田佐兵衛が北村に住んで勤めた宝暦2年に成田氏の衰微にともなって南村に入作していた百姓との間で用水などの出入が起き,竹前権兵衛・高橋浅右衛門・滝沢儀助が取扱人となって南北両成田新田に村分けすることとなった以後,当地は北成田新田(現中条町)と南成田新田(現紫雲寺町)とに分かれた |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」